青春

 何かの競技であるかのようなスピードで飯をかっこむ営業マン達は、一定時間になると太鼓の音が鳴り「はい!そこまで!」という合図が聞こえてきそうな勢いで毎日の食事を済ませている。よく噛んで食べるということは営業マンにとって無縁であるようだ。

 ある日の晩飯時、後輩がオムライスを飲むように食べていたので「俺、飯食うの遅いんかな〜?」と尋ねてみた。
 すると後輩は食べていた半熟卵のオムライスを食べる手を止め、置いてあったナプキンで口を拭い、「入社して1週間ぐらいで気付きましたよ。この人食べるの遅っ!て。」と言って、またオムライスを食べ始めた。
 「ハッ」とした。皆が早かったのでは無かったのだ。自分一人が川の流れのようにゆるやかに食べていたのだと…。知らず知らず歩いてきたこの長く細い道…美空ひばりの『川の流れのように』の冒頭の歌詞の意味が少しわかった気がした。

 思い込みとは恐ろしいものだ。客観的に物事や自分を見ることの難しさを改めて知らされた。ただ、飯はゆっくり噛んで食べるべきである。

学生時代、好きな女の子にCDをプレゼントしたことがあった。
サイモン&ガーファンクルサウンド・オブ・サイレンスが収録されたもの。

 彼女を喜ばせようと、豚さんのピンクの貯金箱を万有引力の法則に従って割り、自転車の車輪止めを蹴り上げ、終始立ちこぎでCDショップへ駆け付け流行りのJ-POPコーナーをすり抜け洋楽コーナーに置いてあった名作サイモン&ガーファンクルのCDをプレゼント用にラッピングしてもらった。この行為はその彼女が熱心なサイモン&ガーファンクルのファンでも無い限り、辞めた方がいい。まだ、自分で歌って録音してプレゼントしなかった分、救い用はあったようだ。

 当時洋楽を聴き始めたころでサイモン&ガーファンクルにハマっていた若気の痛い僕はさらに「これであの娘のハートはゲットだぜ〜、へへへ。」と本気で信じていた。(サイモン&ガーファンクルは素晴らしいCDを出している。が、女の子へのプレゼントとしては難易度が高い)
 今、その娘が家に持ちかえりラッピングを開けた時の反応を想像すると地球の核付近まで穴を掘り、ジャンプ台から綺麗な流線形を描きその穴へダイブしたくなる。もしどこかで彼女に会う機会があれば尋ねたい。あのCDどうだった?と。
知らず知らず歩いてきたこの長い細道…。 あぁ、美空ひばりにすれば良かった。